Learning Design Lab. ラーニング デザイン ラボ
#専門家に聞く

デザインでひらく、海への入り口

田口康大(一般社団法人3710Lab(みなとラボ)代表理事)

海に囲まれた島国に暮らす私たち。漁業など海に関わる仕事を通じて海と暮らしがつながっている方もいれば、日常生活では海をほとんど意識することなく過ごしている方もいるでしょう。海は、豊かな恵みをもたらす一方で、震災の際には津波によって人々の脅威にもなることをよくご存知かと思います。

今回は、海洋教育に取り組む『一般社団法人3710Lab(以下、みなとラボ)』の代表理事・田口康大さんに、「海と人とを学びでつなぐ」ために具体的にどのような活動をしているのか、なぜデザイナーをはじめとした多様な専門家とタッグを組み「デザイン」を大切にしているのか、お話を伺いました。

*この記事は、アソボットB面のポッドキャスト『海を学ぶ』(2024年7月30日配信)を再編集したものです。

ー田口さんは、もともとは海洋とは異なる分野を専攻されていたとお聞きしました

はい。私の専門は「教育哲学」であり、海の専門家ではありません。現在はみなとラボの運営をしながら、東京大学大学院教育学研究科付属海洋教育センターの特任講師として11年教員をしています。

海洋教育に関わるようになったのは、2011年の東日本大震災がきっかけでした。私は東北出身なのですが、2010年からドイツに留学していて、1600年代のドイツ語やラテン語の本を読む手法で教育哲学の研究をしていました。東日本大震災が起きた時はドイツにいましたが、震災の知らせを受け、研究どころじゃないなと思い日本に戻りました。そこから、復興支援の一環で学校現場の教育支援活動をしていく中で、これまでの研究をやめようと思っていたんです。

違う道を探ろうとしていた時、東京大学の中に海洋教育を促進するセンターから「教育学の専門家が必要だ」と私に声をかけていただき、2013年から海洋教育に関わるようになりました。

ー「海洋教育」というのは聞き慣れない言葉ですが、海洋教育センターの中で田口さんはどのような活動をされているのでしょうか?

当時、私も「海洋教育」という言葉を知りませんでした。海洋教育の歴史をさかのぼると、最初は船や水産に関する教育からはじまり、2007年4月に海洋基本法が制定され、「海洋と人類の共生のための教育」と位置付けられました。定義としては広いですが、関係者たちは「海に関する自然科学的な知識を伝達していく教育」というイメージを持っていることが分かってきました。

東日本大震災が起きた時、「これから先、私自身が海とどう関わっていくか」という問いを持ったのですが、それをどこで考えればよいかとずっと考えていたんです。

海洋教育センターに所属した当初は、被災地域である宮城県気仙沼市や岩手県九戸郡洋野町を訪れて、教育委員会の教育長や学校の先生、保護者のみなさんと一緒に、海の存在を子どもたちにどのように伝えていくべきか、とにかく議論を重ねていました。気仙沼市でのディスカッションの最初に、教育長が「環境教育・防災教育に力を入れてきたが、失敗したと思ったことがある。それは海に関する知識を教えてはいたが、どう関わっていくかまでは教育として扱ってこなかった」とおっしゃったことが印象的で、今でもよく覚えています。

「経験を風化させないためにも、学校教育の中に『哲学的な問い』を入れなければいけない。今すぐには難しいが、どのように組み込んでいくか一緒に考えてほしい」

そう言ってくださったあの時から今日まで、ずっと協働しています。当時、命を守るために、海と人とを隔てる防潮堤を設置する決断をしましたが、「海から離れないためにはどうすればよいのか」という問いをディスカッションし続けたことは、私にとって非常に学びになりました。

また、被災地において子どもたちへ海洋教育を行う際には、教える側には震災時の海が持つ脅威を伝えなければいけないというシリアスな認識はありつつも、そのまま子どもたちに伝えることはしませんでした。海は楽しいもので、魅力的なものだということも同時に伝えていかなければと思っていましたね。

気仙沼で行った幼稚園児向けの海洋教育の様子(2022年)

ー被災地であれば、海とどのように関わっていくか、答えが出ずとも問い続ける理由があると思いますが、海の災害と縁遠い地域はどのように海洋教育に触れていくべきでしょうか

いわゆる「海なし県」の先生方ともディスカッションすることがありますが、往々にして「海が大切なのは分かる。しかし、教育として扱う切り口が作れない」という話になります。そういった場合は、海が子どもたちに関わっているポイントを見つけて想像しやすくするプログラムを一緒に考えます。

たとえば、SDGsの14番目に『海の豊かさを守ろう』がありますよね。SDGsが浸透したことで入り口としては分かりやすくなったと思いますが、その14番目を真ん中に置いてみて、他のSDGsの16個のゴールをどのように自分の生活とつないでいくかを伝えていく必要があります。

ー根本的な質問になりますが、なぜ海は教育や現代社会と切り離されてきたのでしょうか?

実は、1950年代には海にまつわる教科書があったほど重要視されていたんです。なぜなら、日本は島国で漁業が盛んだったし、1945年以前の戦時中は船を所有する海軍が重要戦力と考えられていました。それが1960年代の教科書には、海に代わって新幹線などの鉄道が出てきて、第二次、第三次産業を取り上げるようになりました。また1950年代以降は、国語・算数・理科などの単元ごとの教科に特化されたことで、海のような総合的なテーマが取り扱えなくなり、学習する機会がなくなってしまったんです。

ー現代社会から切り離された現状で、みなとラボはどのような思いを持って活動をされているのでしょうか?

2015年にみなとラボを設立し、「海と人とを学びでつなぐ」をテーマに、子どもから大人まで多様な専門家たちと共に新しい学び方を描き、深める取り組みを行っています。
大学の教員として全国の学校で海に関する授業を作っていますが、大学の教員ではできることが意外と限られているんです。その枠組みから外れてしまったものの可能性をもっと広げたいと思って作ったのがみなとラボでした。今は「教育」と「デザイン」の2軸の事業で活動しています。

ちなみに、みなとラボは「3710Lab」と書きますが、3つの意味があります。

  1. 陸地と海の比率が3対7、3+7で合わせて10になること
  2. 古くから港は人が集まる場所であること
  3. 「み(ん)なとラボへ行こう」と読めること

ー海への関心が薄い人たちに「海のことを知りましょう」と伝えることにはいくつものハードルがあると思います。みなとラボではどのような工夫をしていますか?

海を学びの「入り口」にしないことですね。プログラムの出口に「海」という入り口を置いておくんです。「海に関わるための授業をやりましょう」ではなく、「海をテーマにして、授業の中で本を作ってみましょう」といった感じです。

これは、自分が授業を受ける側だとしたら、強制的に海の枠組みをはめられると嫌だなと思ったことから発想しています。たとえ海の意義を丁寧に説明したとしても、「意義は分かったけど、それって面白いの?」となってしまい、子どもたちにとって海が遠くなりかねない。

自ら枠組みを決めるということは、ある種ゲームを作るようなものだと思っていて、そのゲーム自体にワクワクすればそのテーマが海であれ他のものであれ、ゲームという時点で楽しいと思うんです。楽しんでいく中で、少しずつ海に関心が寄っていけばいいな、という考えは頭のどこかにあった気がします。

みなとラボが授業を通じて作った本の数々

ーもうひとつの事業の柱である「デザイン」は、海の関心を広めるために多様な専門家を巻き込みたいと考えていたのでしょうか?

そうですね。デザイナーをはじめとした多様な専門家を巻き込むことで、どのような化学反応が起きるか実験している感覚です。前提として、デザイン事業は教育事業を運営していくうちに後からできたもので、教育の中でデザイン的な要素が強かったものが積み重なり、一本の柱にした経緯があります。

ですが、最初からみなとラボの成果物はデザイン性のあるものにしたいと意識していました。教育に関わる中で、学校の教科書は全体的なデザインのトーンが似たようなものであることの問題意識をずっと抱いていたからです。一定の質を保つために教科書がそうあるべきだと理解はできますが、もっといろんな可能性があるのではないかとも思っていました。

さらに、地方の学校はデザインやアートなどのクリエイティブに触れることが少なく、都会との機会格差があると感じています。デザインの可能性を届けていきたいという思いから、デザイン性のある成果物へのこだわりが最初からありましたね。

「おさんぽBINGO©」。おさんぽに出かける時に持って行き、イラストと同じものを見つけたら穴を開けられる移動式ビンゴゲーム

また設立当初から、私の妻をはじめデザインに関わる仕事に携わっている方がまわりにたくさんいたことが関心があった理由のひとつです。以前、国際海洋環境デザイン会議にプロダクトデザイナーの深澤直人さんをお呼びしたときに、深澤さんが「デザインは海に向き合ってこなかった」とおっしゃいました。
では、デザインに何ができるのか。この問いを考えようとした時に、答えが出なかったんです。だからこそ、これからデザイナーと一緒に作っていきましょう、という気持ちで立ち上げたのがデザイン事業でした。

私の立場からすると、子どもたちにデザイナーの経験を伝えてもらうだけでも価値ある教育だと思いますし、デザイナーが海の視点を持つことで生まれる豊かさがあるのではないかとも思います。一緒にプログラムを作る過程での化学反応を楽しみながら、プロジェクトを進めています。

ー「海と人とをデザインでつなぐ」ことによって、みなとラボに変化はありましたか?

デザイン事業は試行錯誤しながら進めていますが、みんなが同じ方向を見るためには共通の概念やフレームを置くことが必要です。新たに我々が置いた概念のひとつが「OCEAN BLINDNESS」というもの。OCEAN BLINDNESSとは、ユネスコが海洋教育と海洋リテラシーを推進するために用いた言葉で、海と日常生活とのつながりを想像できない現状を指しています。

2024年6月に、OCEAN BLINDNESSの状況をどのように乗り越えていくのかを考え、7つのフレームに整理して本を出版しました。この本では、海とのつながりが見えていない「OCEAN BLINDNESS」の現状を知るためのアプローチとして、さまざまなデザイナーや作家と協業して生まれた事例や海洋環境に関わる建築やプロダクトなどを紹介しています。

<7つのフレーム>

  1. 自分の中にある海を見つめる
  2. 暮らしの中に海をたぐり寄せる
  3. 海への視点を変える
  4. 海になり海から見る
  5. 見えてない海を探る
  6. 海に感覚を委ねる
  7. 海とのつながりを見つめる

具体的に、一つ事例を紹介します。「4. 海になり海から見る」に該当する、建築家のドットアーキテクツ×パフォーマンス集団コンタクト・ゴンゾのワークショップ『the storm』は、特に面白かったものですね。

このワークショップは「みんなで海になる」、ただそれだけです。みんなで隊列を組んで、身体を使って海を表現するんです。波になって「ザバーン」「ザブーン」と前に進んだり、後ろに下がったりして音を出す。でも、波って何かに当たらないと音が出ない。だから、後ろの人が音が出ないんです。いま砂浜にぶつかった、プラスチックゴミにぶつかったなど、みんなそれぞれ想像が広がっていって、何とも言えない高揚感でした。

ここ数年、子どもたちが海洋教育を通して海について知れば知るほど、海からどんどん遠ざかっているのではという疑問がありました。海を頭でしか考えていないという感覚があり、海をもっと近くに感じる方法はないかと探っていたんです。今回のように知れば知るほどに海が近くなっていく方法を生み出せれば、新たな教育モデルになると思いました。「海になる」ワークショップは、ひとつの成果になりましたね。

ワークショップ『the storm』の様子

ー研究するという行為は、ある種物事を目の前において客観視することだと思いますが、内側に取り入れていくことが必要なのですね。最後に、日常生活で私たちが海を内側(身近)に感じるためのヒントを教えてください

たとえば科学に関心がある方は、「今海がなかったらどのような地球になっているか?」などの問いや、「海水と人間の血の成分がほぼ同じである」ことの不思議さなどを考えてみるのはどうでしょうか。

私の一押しは「石」です(笑)。私は石を見に行くのがとても好きなのですが、山梨県には道端のいたるところに丸石が積み重なっている場所があるんです。調べてみると、大陸から日本に渡ってきた人たちが移動したルートと同じところに置かれた道祖神(どうそじん)だと分かりました。丸石は、海を信仰する人たちにとって太陽の役割であったという考えを知り、とても面白いなと思いました。このようにフィールドワークで海とのつながりを探ることが、海洋教育の目指すところなのかもしれません。

「海洋教育」という言葉は、教える側が主体のように感じさせる言葉なので、今後は、学び手側の視点を重視した「オーシャンラーニング」という言葉を使いながら、子どもたちだけでなく社会に必要な学びとして提案していきたいと思っています。

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