Learning Design Lab. ラーニング デザイン ラボ
#専門家に聞く

当事者研究という学び方

熊谷晋一郎(医師/研究者)

よのなかの物事の多くは、多数派の人に合わせてできています。つまり、そこでは少数派の人が我慢をしたり、諦めたりしなければいけないことが多いという世界です。東京大学先端科学技術研究センターの研究者・熊谷晋一郎さんは、少数派の視点から見えている世界をひも解く『当事者研究』を専門としています。これまで発達障害や依存症、子育ての親やアスリートなど、さまざまな当事者研究を行なってきた熊谷さんに、当事者研究とはどういうものか、その研究をどう活かすことができるのかなど、お話を伺いました。

※本記事は、すぎなみ大人塾2021『学びカタ・ラボ』で行われたカリキュラム(2021年10月27日)を再編集したものです。


―どのような経緯で当事者研究を始めたのですか

当事者研究を始めたきっかけは、大学のサークルで知り合った綾屋紗月さんが自閉スペクトラム症(以下、ASD)の診断を受けたことなんです。現在のASDの診断基準というのは、「社会的コミュニケーションと社会的相互作用における持続的な欠損」となっていますが、これはASD当事者である“彼女自身”にコミュニケーション障害の原因があるという考え方です。

この診断基準は世界中のASD当事者が問題提起しています。どういうことかと言うと、 そもそもコミュニケーションとは双方による情報交換ですよね。つまり、コミュニケーション障害が起きる時というのは、どちらか一方が悪いわけではないということです。友達と意見が違って「やっぱお前はコミュニケーション障害だわ」って言われたら「ちょっと待て!」となりますよね。それぞれの違いによって起こる障害なのに、そこに何らかの力が働いて、片方のせいになってしまうんです。私たちもその基準を疑問に思い、ASD当事者の綾屋さんの視点から問い直してみようということで一緒に研究を始めました。

私自身が小児科の医師をしてきて日々感じていたこともきっかけの一つです。私には脳性まひで身体障害があるのですが、幸いにも私がチームにいても高い医療サービスを提供できる職場環境に巡り合うことができました。こういう豊かな組織活動をするためには、互いにできないことや特性を知ることが大前提なのだと実感して、「どうすればこんな組織や社会を実現できるだろう」と常々考えていたんです。

―そもそも当事者研究とはどういうものなのでしょうか

自分の体がどんな特徴で、どんな認知の特徴があって、どういう風に世界が見えていて、それが平均的な人とどう違うのか。それを“見える化”する作業が当事者研究です。実際に綾屋さんが “見える化”してきたことは、当事者自身さえも驚くことばかりでした。のべ2500人以上のASD当事者の経験を集めてデータ化してみると、「まさか平均的な人と耳の聞こえ方がそんなに違うなんて」「物の見え方がこんなに違っているなんて気付かなかった」「内臓の感じ取り方も違うの!?」ということが次々に明らかになってきたんです。

逆に言えば、今まで解明されてこなかった理由は、こういった違いは本人だけでは気付きにくいということが背景にあるからです。「周りと同じようにできない自分は怠け者なのかな」「自分の努力不足なのでは」と、自分の人格を責める癖が付いてしまったASD当事者は少なくありません。そういった辛さを抱えた方がこの研究に参加すると、自分のできないことが他の当事者にも「共通している」ことが分かります。これはとても重要な意味があります。通常、人は苦い経験をしても、それを誰かに話して「私もある」と言われると、「自分だけじゃないんだ」と思って嫌な気持ちを引きずりにくくなります。ですが、ASD当事者など、同じ場にいても世界の切り取り方が異なる人の場合、「あるある話」をして周りの人とつながることが非常に難しいんですね。

さらに、自分のことを誰かに話すことで、脳内に自叙伝のように人生を記憶することができます。ショックな出来事でも人に話すと自叙伝に“居場所”を見つけられますが、うまく人に話せなかった出来事は自叙伝に居場所を見つけられません。このようなことからASD当事者はフラッシュバック現象をよく経験していて、そこで蘇った場面に対してくよくよと落ち込みます。そして、人はくよくよする度合いが強いほど、出来事を主観的に解釈しにくくなるということも分かっています。

このように、当事者の個人的な体験を相対化することで、当事者の生きやすさにもつながり得る研究だということが見えてきました。まだ人数はあまり多くありませんが、海外でも当事者性を持った人自身が研究する活動は広がっています。英語では「user lead research」(サービスや物を利用する人が牽引する研究)、「emancipatory research」(解放研究)、「participatory research」(参加型研究)といった表現がされています。

―具体的には研究でどのようなことが分かってきたのですか

先ほどご紹介したASD当事者と周囲の人とがうまくコミュニケーションできないといった現象も、その理由が分かってきました。ASD当事者の綾屋さんの場合、彼女は小さい頃から友達と自分との間に「分厚いガラスの板」があるような感覚を感じていたそうです。そこで、同じ当事者たちにアンケートを取ってみると「私もそうだ」という声が多く、有力な仮説として抽出しました。当事者研究では、このように仮説を抽出して、それに基づいていろいろな分野の研究者が科学的に検証をしていきます。

私と綾屋さんの場合、ここで「パーソナルスペース」に着目をして検証しました。すると、「ASDの人はそうでない人と比べて、パーソナルスペースが大幅に小さい」ことを証明できたんです。これはどういうことかと言うと、例えば平均的なパーソナルスペースを持つ子どもが「遊ぼう!」と友達を誘う一般的な距離は、ASDの子どもからすると“遠い”ということです。だから、ASDの子どもは「私が誘われているわけではない」と無視をしてしまいます。逆に、ASDの子どもが「遊ぼう」と声をかける距離は近過ぎて、他の子どもたちは引いてしまいます。この検証によって、本人が「分厚いガラスの板」と感じていたものや、周りから「自分勝手な子」と誤解されてしまう理由は、単に「パーソナルスペースの個人差」にあると分かったんです。

―ASDの当事者研究では、他にどのようなテーマを取り上げたのですか

「人の顔を覚えにくい」という、綾屋さんの視点に着目しました。綾屋さんによると、「福笑いのように顔のパーツごとに目に飛び込んでくるから、表情全体に注意が向きづらい」のだそうです。そんな綾屋さんから見ると、私の顔はなんと元AKB48の渡辺麻友さんの顔とそっくりだとおっしゃるんです(笑)。そこで、私と渡辺麻友さんの顔をパーツごとに詳しく見てみると、「奥二重の形」や「上まぶたの傾斜角」などが確かに似ています。そこで綾屋さんと私が気付いたことは、「パーツで人物認識をするというのは赤ちゃんと一緒」ということでした。これまでの研究で、生まれたばかりの赤ちゃんは人の顔を部分的にランダムにスキャンすることや、大人になるにつれてスキャンの順番が決まってくることが分かっています。そこから「ASDの当事者は、大人になってからもランダムな順番で顔をスキャンしているのではないか」という仮説が導かれて、検証をしたところ立証されたんです。

このように、研究によってASD当事者が「話す時の距離が近い」ことや「顔を覚えにくい」ことの理由が分かってくると、周りの人との関係を作るヒントになります。「当事者に何が起きているのか」を解きほぐすことができるこの当事者研究というのは、非常に重要な仕事だと感じています。

―改めて“当事者”とは誰のことを指すのでしょうか

ここまでASDという「障害」を例に出して話してきましたが、現代的な考え方で捉えれば、障害の診断を受けていなくてもみんなが“当事者”なんです。例えばこのイラストを見てください。目の前に立ちはだかる階段に男の子が困った表情をしています。これはどこに障害が宿っていると思いますか?

小学生を対象にしたシンポジウムでは、“足”の不自由さを指摘する意見はもちろん出ましたが、中には“階段”に着目して「車いすのタイヤをキャタピラにしたらいい」という面白い意見もありました。これはどちらも正解ですが、主に二つに分類できます。一つ目は、足などの自分の内側に障害が宿っていると考える「医学モデル」。もう一つは、自分の外側、例えば階段などの社会環境に障害が宿っていると捉える「社会モデル」、つまり「社会環境との相性」に注目する考え方です。私が生まれた頃は医学モデルが中心だったので、私の中に宿る障害を取り除くという考えで、毎日5時間リハビリをしていました。でも社会モデルによれば、本人はそんなに頑張らなくて良くて、道具や設備、人の考え方などの社会環境との相性を調整していきます。

今回のコロナウイルスのような事例も分かりやすいかと思います。感染症の大流行によって社会環境が激変して、世界中の人が不便を経験しました。これを社会モデルで言い換えると、「急変した社会環境と世界中の人との相性が悪くなった」ということです。私はコロナウイルスの大流行という現象によって、「障害という現象が世界規模でみんなのものになった」と捉えています。そのように考えると、全員が大なり小なり障害者、つまり当事者ということになるんです。

―当事者研究を自分でやってみる方法はありますか

みなさん自身も“当事者”なので、ぜひ自分のことを研究してみると良いと思います。当事者研究でやろうとしていることを改めて一言で言うと、「自分から見た自分が、周りから見た自分と一致しない状態を、どう埋めていくのか」です。ですからみなさんも、まずは「自分から見た自分」と「周りから見た自分」を書き出してみることをしてみてください。「私はこう見られているけど、実はこうなんです」という感じです。書き出したものを対比してみると、自分が何に困っているかが分かると思います。また、自分から見えている景色を周りの人が知ることもできます。

その次にやってみてほしいのは、「あの人は困った人だな」という人を思い浮かべることです。職場や地域のサークルなど、自分が所属しているコミュニティならどこでもいいです。そして、その人についての仮説を紙に書いてみてください。「あの人は困った人だけど、実はあの人自身がこういうことで困っているのかもしれない」というようなことです。もしかしたらその人も、みなさんと同じように周囲の人から分かってもらえないことに困っているのかもしれません。このように「“困った人”は“困っている人”だった」という発見があると、お互いを尊重し合う組織やコミュニティが育っていくのではないかと思います。

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